ビールと山

みなさんこんばんは。

昨日はカルディで買ったベルギーの天使のビールを飲みました。

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このビール、以前は週末にたまに飲んでました。セットでリンゴのサワーも飲みました。

どうやらビールはアセンションに役立っているとかいないとか(笑)

たしかに、毎日1缶くらいなら良いかもしれませんね。

今日は週末なので普通の麒麟発泡酒等を飲んでます。今の自分には週末とか関係ないですけどね。

そして、今日は朝から近くの山に一人で登ってきました。麓には神社もあります。なかなかの険しい山でしたが運動になりました。人も誰一人会わず一人でマイペースに登山しました。久しぶりの運動だったので、さすがに走る余力はありませんでした。

そして、スピリチュアルの今日の話題としては、ハイヤーセルフとともに意思疏通を密にして、自分の使命に気付けていけたら良いなぁと思いました。

しゃっくりが止まらず(笑)

今日は飲みすぎました。


過渡期に起こる癒し

自分にとって今は過渡期にあたると思います。三次元世界で言うところの時間(直線時間)の中で会社に縛られていた時間からほとんど解放されました。

しかし、新しい世界へ移行するにあたり、まだ癒すべき事柄などが自分の中に存在します。

その場合、スピリチュアル的には光や癒しのエネルギーを直接使うのかもしれません。あるいは高次意識からのメッセージ。特に今叫ばれている急激なアセンションの動きに合わせると、そういった方法も有効だし、私もそういった癒しのエネルギーを扱える状態を目指しております。

だけど、自分の直感からすると、今はそこにフォーカスするやり方ではなく、既存に存在する世俗的な世界を生きた人達から得られる感覚により癒しを得られるとおもっております。特に本でいうと時代小説やノンフィクションから。

時代小説に言及すると、過渡期との題名のとおり、昔は戦国時代が好きでしたが、最近は江戸時代を扱った小説も読んでみようかなぁと思ったりしています。

これらの心理的な変化を起こしているのは、その時その時にあわせた癒しの形態が人によって違ってくるからですね。


繊細さを大事に

最近、久しぶりに読みかけのある本を読んでいたら、こんな思いが浮かびました。

自分の繊細さを失わないで。

あぁ、忘れていた感覚だと思いました。

でも、それと同時に、人の悲しい思いを受け取りたくない、ということも同時に思ってしまうのです。

特に、間接的に人の文章から人や動物との別れの想いがドーっと伝わってくると、自分がつらくなるのです。

文章から人の思いを受け取りやすいのも、時に困ったものだなぁと感じてしまいます。

(ちなみに今読んでいる本には悲しい文章はありません)。


不思議な姿

何故、自分の夢や空想に出てくる人間は、人間の姿から未知なる異形の生物に姿を変えるのか。ガイドも毎回といって良いほど姿が変わる。夢の寝入りや起きたばかりの時は記憶に残りやすいが、登場人物達は非物質の生命体だからだろうか。真実は?